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Catarata del Gera Moyobamba - San Martin

 

Tambopata Puerto Maldonado - Madre de Dios

 

熱帯雨林地方

アマゾンの熱帯雨林は、そこを流れる川の広大な流域です。

ペルーの人々がアマゾン地域を意識し始めたのは、ゴム景気に沸いた19世紀末になってからです。熱帯雨林の処女地からゴムの液汁を採取したことは、アマゾンの熱帯雨林における冒険や開発の歴史の中で最も知られていないものの一つです。そこに住む部族全体が奴隷となりました。ブラジルにある近隣都市マナウス(Manaus)に当時の最も象徴的な富が流れていった頃、イキトス(Iquitos)はゴム取引の中心地でした。1910年頃になると、イギリス人がパラゴム(Hevea brasiliensis)の木の種を持ち出し、それをアジアの植民地、主にスリランカとマレーシアに移植したことから、ゴムの取引も下火になりました。

1950年代からアマゾン地方は、アンデスの山々から移って来た入植者によって道が開かれ高原に新たな集落が作られて、開拓の進む地域となりました。1960年代にはフェルナンド・ベラウンデ大統領は、アマゾン地方が無限の可能性を秘めたフロンティアであり、アメリカ合衆国の西部に匹敵すると見なしていました。大統領は自然道で貫かれた熱帯雨林に入る道路を結ぶ熱帯雨林周辺道路を提案しました。しかし、入植者達は収益のある農業を維持できる状態にはなく、道路あるいは侵入路は土砂崩れにより寸断され、トラックを飲み込むほどの泥やぬかるみに覆われてしまいました。農民はせっかくの作物を自身の農園やトラックから運び出すことが出来ませんでした。政府の新たな政策は、トウモロコシ、米、パーム椰子、バナナの栽培を優遇しましたが、結局多くの農民にとって利益をもたらす作物はコカだけでした。コカは伝説的な植物で、疲労回復のために人々はずっと昔からこれを噛んできたのです。

1970年代からはアマゾン地方は石油などの天然資源の開発と地域経済におけるコカイン取引の重要さが増し、危険な状況にあります。

(出典:Peruvian Graffiti)

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